なんで

2008年3月2日
何で生き続けているのだろう。どこまで生き続けていくのだろう。
こんな毒を吐きまくって、生きていいのだろうか。

いつまでたっても、自分で自分を承認できない。
誰か他の人に賞賛されないと、自分の価値を確認できない。
私は、私を信じていない。
私の意見も、私の存在自体も。

いつもいつも、誰かに承認されたがっている。
周りはいい迷惑だ。

いっつもラクな方に逃げ込んで、
悲劇のヒロインに酔って、
それで…どうするよ。

自分に責任を持とうよ。
誰かのせい、じゃなくて。
自分のせい。
それができるようになって初めて、
自分は自分を信じることができる。
自分のいいところも悪いところも、受け止めることができるようになるだろう。

…なんて他人事な文章…。

こういうものを、人目にさらして大丈夫、って神経がおかしい。
こうやって書いている自分が一番おかしい。

よくナルシストって言われるけれど、その通りだと思う。
世界には自分しかいない。
他人なんて、自分の下敷きでしかない。…酷い。

こうやって書いてみて、初めて分かる。
自分は酷い奴だ。
そうか酷い奴だ。
…そうか、そうなんだ。

自分は酷い奴だということ、薄々は気づいていた。
でも、それを認めたくはなかった。認めたら負けだと思っていた。
それを認めないようにするために、いろんなことをごまかしていた。
「自分ってスゴイ」「自分ってイイ人」「人様のお役に立っている」
そんな風に、自分をごまかしていた。

でもね、違うよやっぱり。

私は酷い人間で、自分の幸せのためなら、他人がどう思おうと構ったことじゃない。
悪いのは全部他人。
自分はすばらしい。…だから他人に対する風当たりばかりが酷くなる。
事実だから、という隠れ蓑で、他人を平気で批判する。
オマエはダメだ。アタシがスゴイんだ。
そういう価値観を織り交ぜつつ。

………本当にしょうもない。

そんなスゴイ人間なわけないし、正論(という定義も最近曖昧だけど)だからといって、
人を裁いていいわけじゃない。
もとい。自分の中ではとにかくとして、他人の批判はひどい。

情けない。

最近のあせりは、間違いなく「世間から置いていかれる」ことに対する恐怖。
自分に自信があれば、周りがどうなろうと、自分は自分、と開き直ることも可能だろう。
でも自分に自信がない。
自信がないから、周りの価値観にすがろうとする。
周りの価値観にすがっているうちは、自分に自信を持つなんて、できるはずもないのに。

それから、死んだ子の年を数えるようなことが多すぎる。
過去を引きずりすぎ。やってしまったことを悩むことが多すぎる。
基本的に、悩まないほうが幸せ。
悩んでいいことと、悩んじゃいけ無いことがある。

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